教員は気働き屋さん
日記的な感じです。
ぼくは,気働きが,嫌いです。
職場の後輩でこういうことを言う人がいました。
A子「みんなが色々と気働きで動いているのに,○○さんはやっていない。気付けていないのかなんなのか,かわいそう。」
れ「そう。A子さんは,気働きはどんどんするべきだと思う?」
A子「はい。気付いた人がやらなければいけないという形はおかしいと思います。ですが,誰かが気付かないといけないことなので,若手が率先してやるべきだと思います。」
れ「そうかもしれないね。」
A子「なので,働かない○○さんは,なんなんですかね。」
れ「まあまあ…。」
悪い癖です。肯定も否定もせず,なんとなくおさめようとしてしまうところ。
人の悪口は苦手なので,「その刀をおさめなさいよ」で終わってしまいました。
どの仕事でもそうなんでしょうか?
教員は,気働きがとても多いです。むしろ気働きを称賛する世界でもあります。
「変だなあ。」と思うわけです。
割り振られた分担やそれぞれの分掌が仕事の範囲なのに,色々と気働きをする文化がある。
それって,「事前の役割分担が適切にされていない」から気働きが必要になるんですよね。
あと,「どこかで仕事をしているかもしれないから」という謎のプレッシャー。気付けなかったり参加できなかったりすると,後からやいのやいの言われたりします。
なぜ「気付く」ということに労力をさかねばならないのか…。
おそらくこのA子ちゃんは,将来気働きができない若手を影でこそこそ言いまわる人になってしまう気がします。
そして若手はもっと気にして,気働きをしなければと気働きをし…。最悪の悪循環です。
たまにはいいじゃないですか。気付かないふりしても。
目の間にどうしてもすぐ片づけたい仕事があれば,そっちを優先したっていいじゃないですか。
別に周りの人の評価をあげても出世できるわけでもありませんし,給料があがるわけでもありません。
得られるリターンは,その後,ちょっと仕事がやりやすくなるだけです。
何人かいる有象無象のお手伝いさんよりも,あなたにしか頼めない唯一のお手伝いさんスキルを磨いた方が,よっぽどいいと思います。